紙魚の通り道

書評やら、雑記を記す自由帳。

震災体験記 2

長女の通う中学校は平地続きの近所だった。

母に長女の迎えを任せ、私は次男とその友人を連れ、
山の上にある小学校へと向かう。
近所の子供も共に連れて戻る事を各親御さんと相談し、
急ぎ足で山を登った。

道中、時期外れの大粒の雪が降り始めた。
寒い、身体的にも精神的にも冷え込む。

小学校に着くと、先生と生徒が校庭に避難していた。

しゃがみこんで泣く子供、パニックになる子供、
子供を気遣う先生方も不安を隠せない様子だった。
先生に事情を話し、三男と近所の子供を引き取った。

帰り道では、崩れそうなブロック塀やコンクリート
土砂崩れを起こしそうな地山は極力避け、
安全そうなところを辿って回り道をした。

長い帰路の末、家に辿り着くと、子供たちの親が待っていた。

どの親も涙を流しながら、「無事でよかった。」
「よくがんばったね。」と子を抱きしめる。

なんだかホッとしてしまったが、まだまだ問題がある。
父の安否、食糧、寝床、家族や町の未来。考えれば考えるほど増えていく。

自分の進学も無理なのではないか、
などと考えを巡らせるとますます気落ちしてきてしまったので、
まず生きるための事をしようと思った。

幸い家族の多い私の家には、
大きな冷蔵庫とストッカーに多くの食材があった。

この寒さならすぐに腐る事はないだろうから、
足の早いものから食べればしばらくは持つ。

風呂はさすがに無理だろう、我慢はできるから後回しだ。

調理はガスコンロがあるから出来る。
それに、物置にマッチでつけるストーブもあったはず。
暖はとれるな、それを使って暖めた部屋に寝れば風邪等は予防出来る。

そのためにも、皆が寝られる大きい部屋を先に片付けなくては。

脳内で考えたことをこの場で一番頼れる母に相談した。

話し合いの末、家の隣にある叔母の店が比較的被害が少なかったので、
散らかった店内を片付け、ブルーシート、段ボール、
あるだけの保温マットをパズルのように敷き詰め、
引っ張り出してきた布団を重ねて当面の寝床とした。

これで食事と寝床は当分大丈夫。少し気が楽になった。

他に早く解決するべき問題は、断水して使えないトイレをどうするかだ。

男衆は庭の隅でするとしても、女の人たちが用を足せる所がない。

ん?その前に断水しているなら飲み水もないじゃないか。
何でこんな事に気がつかなかったのだろう。

飲み水がないのはまずい。ジュースや非常用保管水はあるが限りがある。
料理に使える水もないと袋ラーメンや汁物も作れない。

給水車は動くのだろうか?どこか給水できる所はあるのだろうか?
好転してきた状況から、急にどん底に落とされた気分だった。

いや、今日はまず凌げる。
明日には避難所や消防署に行ってみよう。
非常時の備えだってあるはずだ。給水車の件も確認しよう。
と無理やり不安を押し殺した。

地震からどれくらい経った頃だったろうか。
ふと空を見上げると北側の空が真っ赤に染まっていた。

ご近所さんが聞いた情報によると、
不安を煽るような真っ赤な空の原因は、大規模火災だったらしい。

火災現場は、ちょうど父の帰り道の途中だ。

「海が燃えていた。」とにわかに信じがたい事を聞き、
何が本当で何が嘘か分からない状況だったが、
抑え込んだ不安が溢れ出そうになった。

しかし、立ち止まってもいられないのだ。

父は大丈夫だ、人一倍タフで運のいい男だもの。
私が幼い頃、2階の屋根の樋に引っかかったボールを取ろうとして、
すごい勢いで転げ落ちたときもかすり傷だった男だ。
そう簡単に死ぬわけない、明日になれば武勇伝を語りながら帰ってくるさ。
と不安を再度奥底に抑え込んだ。

しかし、どんな決意をしようが、何をしていても不安と恐怖に襲われた。

そして、自分の無力さに打ちひしがれながら、
いつぶりか分からない「お祈り」をした。

どんな状況だろうが、時は平等に過ぎるのだなと実感した一日だった。

日が暮れ始め、夕食や寝床の準備を終えたところで、
車のナビでテレビが見れる事にやっとこさ気づいた。
(携帯は繋がらず、諦めて寝床に置いていたので、
 ワンセグの存在を完全に忘れていた。)

車に乗り込みエンジンをかけ、
母、私、ご近所さんで小さなカーナビを見つめた。
どの局を選んでも、目に映るのは「マグニチュード9.0」という数字、
津波による東北沿岸部への甚大な被害など、
これは現実なのか?と疑いたくなるような内容ばかりであった。

信じがたい情報に消化不良を起こしながらも、叔母の店に戻ってすぐに、
居合わせた大人で集まって、これからについての話し合いを始めた。
その間、私は兄弟姉妹や近所の子供の世話を任された。

私は子供たちを不満にさせまいと、
気丈なふりを続けたが、まだ帰らない父の事を思い出すと、
胃袋をぎゅっと握られるような痛みを感じた。

いつの間にか日は暮れ、寒さを引き連れた冷たい夜がやってきた。
懐中電灯で手元や室内を照らし、用意しておいたあら汁を食べる。
ストーブはついているが、部屋の隅や窓からは刺すような冷気が漂う。

食事を終え、戸締りを確認して寝床に就いた。

闇と静寂の中、繰り返す余震に幾度となく怯えながら、
少しでも気を紛らわせようと楽しい事を思い浮かべる。

バンドの練習、友達や先輩とのダーツ、
そう遠くなかったはずのキャンパスライフ。

楽しい事を想像しては、全部駄目になるかもと考えてしまい、
明るく楽しい映像が浮かんでは消えてを繰り返した。

ネガティブな気持ちだと何を考えても駄目だと思い、
明日の朝、目を開けたら日常に戻っているよう祈りながら目を閉じた。

 

ー3に続くー

震災体験記 1

震災当時、私は宮城県某市の高校3年生だった。
卒業式を終え、進学までのしばしの自由を謳歌し、
毎日のように遊び回っていた。


震災の前日、卒業祝いで頂いたお金を握りしめ、
バンドを組んでいた友人と仙台市の楽器屋に新しいギターを買いに行った。


新品のギターを抱え、帰りの電車に乗り込み、
今日は泊まりで曲合わせしようかなどと話していると、妙な声が聞こえた。


「けえれぬぐなっぞ。」(けえれぬぐなっぞ=帰れなくなるぞ)


どこか懐かしさを感じるような老齢の女性の声だった。


私はハッとして友人に、
「今なんか聞こえなかった?」と尋ねた。


友人はきょとんとして、
「え?何が?」と応える。


不可解な現象はたくさん体験した事があるが、
対話になるような事は今までなかった。
それ故に何だか気に掛かり、友人宅に泊まるのはやめて、
夕飯時には解散し、帰ってまた別の日に集まることにした。


翌日、昼過ぎまで寝ていた私は弟と弟の友人が本棚を漁る音で目が覚めた。


「え、お前ら学校は?」
寝ぼけながら問い掛ける。


「午後部活だけだったからサボった。」
漁った漫画本を手に弟が応える。


さすがは愚弟とその友人。
サボるにしても、人の部屋に勝手に入るな。
などと思いながら、他愛もない話をしつつ、
昨日買ったばかりのギターを弾いていた。


さすがに暇になってきて、誰かと遊ぼうかな、
しかし外出の準備をするとなると面倒だし、今日は家に居よう。
その前に腹が減ったな、カップ麺でもあったかな。
などと考えていると、大きな家鳴りがした。


ピキピキッと家の軋む音がした直後、
ゴゴゴゴと聞いたことのないような地鳴りが轟く。


地震だ!」


部屋に居合わせた全員が口を揃え叫ぶ。
緊急地震速報を知らせる携帯が負けじと騒ぐ。


地域柄、地震には慣れていたが、
聞いたこともない轟音に動揺して動けない。


地鳴りの直後、家を巨人が叩きつけるような縦揺れが襲ってきた。


ストーブを消さなきゃ!以外にも頭は冷静だ。
大きな揺れの中、辛うじてスイッチを押す。


その時、跳ねる本棚とその前で腰を抜かしている弟の友人に気付いた。


本棚が倒れてくるかも知れない!
と考えながら、私は片手で弟の友人をベッドの上に引き摺り上げてた。
火事場の馬鹿力と言うものは本当にあるのだなと、後になって思った。


案の定本棚は倒れ、揺れが収まった頃には、
どこから手を付ければいいか分からないくらいに物が散乱していた。


外からは「早く出てきなさい!」と叫ぶ祖母の声がした。
(サイレンも鳴っていたはずだが、必死だったからかあまり覚えていない)


春に近づく3月とは言え、寒さの厳しい日だった。
急いで上着を着て、家の外に向かう。


玄関を飛び出ようとした時、
祖母が聞いたこともないような大声で叫んだ。


「止まれー!」


突然の声に驚いて止まると、
ガシャン!と屋根瓦が落ちてきた。


血の気がすっと引いた。
あの祖母の声が無かったら、大怪我をしていた。
下手すると今こうして生きていられなかったかも知れない。


割れた屋根瓦を横目に、庭へ避難する。


周りの家の人たちも外に出てきており、
これからどうするか、どうしたら良いのかなどと話をしていた。


あまりに衝撃的な出来事だったからか、自分の事で頭が一杯だったが、
ご近所さんと話をしているうちに、そうだ家族全員揃っていない!
と気付き青くなった。


祖父母、家で事務をしていた母、自分、
学校をサボった次男、風邪で休んでいた次女はここに居る、
しかし海沿いの現場に出かけた父、中学生の長女、小学生の三男が居ない。


小中学校は海から遠いから津波は来ないだろうが、無事だろうか?
海にいたはずの父は逃げられただろうか?
一緒に現場に出かけた同僚たちも逃げられただろうか?
と不安になり目眩がした。

 

だがぼーっとしても居られない状況だったので、
父もその同僚もタフな職人だ、きっと無事に逃げているはず。
まず弟と妹を迎えに行こう。出来る事をするんだと決意した。

 

ー2に続くー

震災体験記 前書き

はじめに、

震災体験記の前の御礼と注意をさせて頂きます。

下記の内容にご理解頂ければ幸いです。

 

私は国内外の皆様の支援を頂き、
幸せな「普通」の生活に戻れた一人です。
ご支援頂き、本当にありがとうございました。


次の記事が体験記となりますが、
個人を特定出来る部分などの一部は

内容を変更しております。


当時の記憶をもとに書いておりますので、
記憶違いなどもあるかも知れません。

何卒ご容赦ください。


また、震災を起因としたPTSD等の症状がある方にはおすすめ致しません。
ショッキングな表現もありますので、

ご注意してお読み頂ければ幸いです。


これから世に出す記事が皆様の防災に

少しでも役立ち、防災意識の向上や、

災害時の判断材料の参考になればと思います。


なお、体験記は分割公開する予定です。
1回目の記事は、

 

2019 / 3 / 25(月) 15時頃 

 

に公開予定です。


以降の記事は、

ツイッターにて公開の告知をして行きます。
何卒宜しく御願い申し上げます。

プロットの悩み

最近、寝る前の時間を使って、

iphoneのテキストアプリでプロットを作り始めた。

 

ただ、久しぶりだからか物凄く詰まる。

あらすじ、構成、登場人物や舞台などの設定はすんなりと書けたのだが、口調や対話がなかなか決まらない。

 

なかなか遅筆ではあるが、少しずつ書いて行こう。

 

紙魚

自己紹介

紙魚(しみ)と申します。

読書が好きで、本にかじりつくように盧めり込む事からこの名をHNとしております。

 

主にミステリ、妖怪ものが好きで、

京極夏彦先生を崇拝しております。

(勿論、水木しげる大先生、荒俣宏先生も…)

 

エッセイや、冒険物なども好きで読み、

読んだ事のないジャンルはBLくらい。

 

始めて読書にハマった作品は、

赤川次郎先生の「三毛猫ホームズシリーズ」

だったと記憶しています。

 

読破ペースは遅めで、月に5〜7冊程度。

 

昔は素人ながら短編を書いておりました。

育児に余裕が出来次第、また書いてみようかなと思っております。

 

読んだ本の感想はさらっとTwitterにて

書き流し、特に気に入ったものや、

時間が取れそうな際には書評として思う所、

評価したい所を当ブログに書いてみます。

 

なお、ネガティブな書評は致しません。

 

自分に合わなかったものを好きな方も

いらっしゃると思いますし、

どう感じ取るかはそれぞれの感性によって

違うと思うからです。

 

合わなかったな…と思ったら、良い所だけ感想に書き連ねて流していきます。

 

また当ブログ、Twitter共に個人の意見であり、

所属団体などの意見ではございません。

偏向的であったり、一個人や団体を直接的、

または間接的に中傷してしまっている場合は

削除の後、謝罪をさせて頂きますので、

お声掛け頂ければ幸いです。

 

本好きの皆様、

末永くよろしくお願い申し上げます。

 

紙魚