紙魚の通り道

書評やら、雑記を記す自由帳。

震災体験記 1

震災当時、私は宮城県某市の高校3年生だった。
卒業式を終え、進学までのしばしの自由を謳歌し、
毎日のように遊び回っていた。


震災の前日、卒業祝いで頂いたお金を握りしめ、
バンドを組んでいた友人と仙台市の楽器屋に新しいギターを買いに行った。


新品のギターを抱え、帰りの電車に乗り込み、
今日は泊まりで曲合わせしようかなどと話していると、妙な声が聞こえた。


「けえれぬぐなっぞ。」(けえれぬぐなっぞ=帰れなくなるぞ)


どこか懐かしさを感じるような老齢の女性の声だった。


私はハッとして友人に、
「今なんか聞こえなかった?」と尋ねた。


友人はきょとんとして、
「え?何が?」と応える。


不可解な現象はたくさん体験した事があるが、
対話になるような事は今までなかった。
それ故に何だか気に掛かり、友人宅に泊まるのはやめて、
夕飯時には解散し、帰ってまた別の日に集まることにした。


翌日、昼過ぎまで寝ていた私は弟と弟の友人が本棚を漁る音で目が覚めた。


「え、お前ら学校は?」
寝ぼけながら問い掛ける。


「午後部活だけだったからサボった。」
漁った漫画本を手に弟が応える。


さすがは愚弟とその友人。
サボるにしても、人の部屋に勝手に入るな。
などと思いながら、他愛もない話をしつつ、
昨日買ったばかりのギターを弾いていた。


さすがに暇になってきて、誰かと遊ぼうかな、
しかし外出の準備をするとなると面倒だし、今日は家に居よう。
その前に腹が減ったな、カップ麺でもあったかな。
などと考えていると、大きな家鳴りがした。


ピキピキッと家の軋む音がした直後、
ゴゴゴゴと聞いたことのないような地鳴りが轟く。


地震だ!」


部屋に居合わせた全員が口を揃え叫ぶ。
緊急地震速報を知らせる携帯が負けじと騒ぐ。


地域柄、地震には慣れていたが、
聞いたこともない轟音に動揺して動けない。


地鳴りの直後、家を巨人が叩きつけるような縦揺れが襲ってきた。


ストーブを消さなきゃ!以外にも頭は冷静だ。
大きな揺れの中、辛うじてスイッチを押す。


その時、跳ねる本棚とその前で腰を抜かしている弟の友人に気付いた。


本棚が倒れてくるかも知れない!
と考えながら、私は片手で弟の友人をベッドの上に引き摺り上げてた。
火事場の馬鹿力と言うものは本当にあるのだなと、後になって思った。


案の定本棚は倒れ、揺れが収まった頃には、
どこから手を付ければいいか分からないくらいに物が散乱していた。


外からは「早く出てきなさい!」と叫ぶ祖母の声がした。
(サイレンも鳴っていたはずだが、必死だったからかあまり覚えていない)


春に近づく3月とは言え、寒さの厳しい日だった。
急いで上着を着て、家の外に向かう。


玄関を飛び出ようとした時、
祖母が聞いたこともないような大声で叫んだ。


「止まれー!」


突然の声に驚いて止まると、
ガシャン!と屋根瓦が落ちてきた。


血の気がすっと引いた。
あの祖母の声が無かったら、大怪我をしていた。
下手すると今こうして生きていられなかったかも知れない。


割れた屋根瓦を横目に、庭へ避難する。


周りの家の人たちも外に出てきており、
これからどうするか、どうしたら良いのかなどと話をしていた。


あまりに衝撃的な出来事だったからか、自分の事で頭が一杯だったが、
ご近所さんと話をしているうちに、そうだ家族全員揃っていない!
と気付き青くなった。


祖父母、家で事務をしていた母、自分、
学校をサボった次男、風邪で休んでいた次女はここに居る、
しかし海沿いの現場に出かけた父、中学生の長女、小学生の三男が居ない。


小中学校は海から遠いから津波は来ないだろうが、無事だろうか?
海にいたはずの父は逃げられただろうか?
一緒に現場に出かけた同僚たちも逃げられただろうか?
と不安になり目眩がした。

 

だがぼーっとしても居られない状況だったので、
父もその同僚もタフな職人だ、きっと無事に逃げているはず。
まず弟と妹を迎えに行こう。出来る事をするんだと決意した。

 

ー2に続くー